同法人は1958年に東京で開業し、1964年に同地に移転した個人医院を前身として1970年1月に設立された医療法人社団。経営する「戸塚中央病院」は内科(消化器科・循環器科)外科、整形外科、形成外科、脳神経外科の診療科目を有した総合病院で、一時は90床ほどの入院設備を有し、労災緊急指定病院となるなど、地元では数少ない救急指定病院として、一時は県下トップクラスの急患搬送件数となり、1980年3月期には8億1000万円の年間収入高を計上していた。
しかしこの間、設備投資の過多により1974年に約6億円の負債を抱えて和議を申請(現在の民事再生法の適用申請に相当)。「約10年かけて100%弁済する」との条件で和議が認可されていたが、その後も年商規模を上回る借入を行っていたことや、入院患者の多くが高齢者で常勤医師が少なく、非常勤医師への人件費負担が膨らんでいたことなどから1994年に約9億円の負債を抱えて横浜地方裁判所に2回目の和議を申請。この際、日本経済新聞の報道*1 によれば、法人側からは「約12年かけて30%弁済」との債権カットを含む条件提示がなされたが、債権者の同意が得られず、「約15年かけて100%弁済」との条件での合意となっていた。
この2回目の和議債務が同法人の経営を圧迫。2003年に前理事長の死去に伴い、新体制下で再建に努めていたが、近隣病院との競争激化から来院者は減少。このため、総合病院としての経営を断念し、2015年7月から診療項目を内科・循環器内科とした上で48床の療養専門病院として再始動していたが、経営状況が改善に至らなかったため、今回の事態となったという。
*1:一般病院「3度目の倒産」 背景に和議特有の事情(日本経済新聞、内藤修(帝国データバンク)、2019年3月26日 6:30)
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