信用調査大手の帝国データバンクによると、名古屋市中川区好本町の「株式会社日本コンタクトレンズ」(代表取締役:水谷純)と関連会社で東京都中央区日本橋箱崎町の「株式会社日本コンタクトレンズ研究所」(同代表)は11月15日、名古屋地方裁判所に民事再生法の適用を申請し同日、保全処分命令を受けた。
申請代理人は若杉洋一弁護士(弁護士法人大江橋法律事務所、大阪府大阪市北区中之島2-3-18 中之島フェスティバルタワー27階、電話:06-6208-1500)ほか6名で、監督委員には池田伸之弁護士(池田総合特許法律事務所、愛知県名古屋市中区丸の内1丁目17番19号 キリックス丸の内ビル802号、電話:052-684-6290)が選任されている。また、負債額は日本コンタクトレンズが約14億2000万円、日本コンタクトレンズ研究所が約4億7000万円、2社合計で約18億9000万円とのこと。
日本コンタクトレンズは国内におけるコンタクトレンズの研究・開発分野の先駆者である水谷豊氏らにより1964年(昭和39年)5月に「日本コンタクトレンズ製造株式会社」として設立されたコンタクトレンズの製造・販売を事業とする会社。「ニチコン」のブランド名で商品展開を行い、ディスポレンズ(1DAYや2WEEKの使い捨てレンズ)を主力商品とするほか、ハードコンタクトレンズ「ニチコンRZX」「ニチコンうるるUV」「ニチコンEX-UV」「プラスビュー」「ローズK2」などの自社製品、コンタクトレンズの洗浄液・保存液などのケア用品の製造・卸売を手がけていた。
中部地区の眼科医を中心に製品供給を行い、円錐角膜用や角膜移植後の角膜不正乱視向けハードコンタクトレンズ、遠近両用ハードコンタクトレンズなど他社の参入が少ない分野に特化することで、ディスポレンズの普及が進んだ1996年2月期は約38億7000万円の年間売上高を計上していた。
しかし、後発・海外コンタクトレンズ業者の参入による低価格化やソフトレンズの需要の高まり、廉価なメガネとの競合などにより販売数量が減少し、2016年2月期の年売上高は約20億1000万円ほどに縮小していた。この間、損益推移も不安定で留保金の蓄積が遅々として進行しなかったほか、商圏拡大を見据えて行ったコンタクトレンズメーカー「アイミー株式会社」及び旭化成アイミー株式会社の製造受託事業の買収事業なども不調に終わったため、資金の固定化を招いていた。このようななか、金融機関からの資金調達のメドも立たなかったことから自力再建を断念し、今回の措置となったという。
関連会社の日本コンタクトレンズ研究所は1960年(昭和35年)5月に創業し、1964年(同39年)2月に法人改組したコンタクトレンズの卸売業者で、「ニチコン」ブランド商品を扱っていたが、親会社である日本コンタクトレンズに連鎖した。
■関連リンク
株式会社日本コンタクトレンズ
http://www.nipponcl.co.jp/index.html
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